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「太宋山欣勝寺草創由来記」によりますと、鳥羽天皇の治世密教の高僧であった大徳絶海上人が当寺に居住していたときの話が伝わっています。
  天仁年間(1108〜1110)のある八月の雨の夜のこと、夜中一時頃になると毎晩、欣勝寺の庭先に年の頃なら十七、八の若い娘が現れ、すすり泣くようになり何かを一心に訴えている様子でした。絶海はこの女人が、けものの化身であるとすぐに見抜きましたが、そのままにしておきました。女人のそれは七日間も続きましたので、絶海は女人を居間に通し訳を尋ねると、化身の娘は顔を伏せながら「私の名前は“きぬ”といいます。その昔丹波の山奥の百姓の一人娘に生まれました。十七になり、親の選んだ養子を迎えましたが、夫は両親が元気なうちは大変真面目に家業に務めてくれました。ところが母が死に、続いて父が亡くなると遊び狂うようになり女の人と仲良くなって、しまいには田畑を売ってしまい、家にも寄り付かないようになりました。噂では三田に女が出来たとのことで、夫を探しに三田まで来ましたが、わからずじまいです。疲れ果てて道に迷ってしまい、裏山に来て精も根も尽き果てて池に身を投げました。嫉妬、怒り、悔しさの一途で生き変わり、蛇の身となりました。夫を呪う気持ちと自分のはしたなさ、苦しみに耐えかねております。どうかこの苦悩からお救いください。」と言いました。これを聞いた絶海上人は哀れに感じ、「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。人のねたみ心や、腹立ち心がそのような結末になった。そなたの悪かったことを心の底から懺悔して、我を打ち捨てよ。」と静かに論じました。その化身の女人は、上人の諭しが終わると「気分が静かに落ち着きました。これでやっと成仏できます。本当にありがとうございました。」と言い、悟りを開いて大蛇の姿を現しました。そして上人に感謝し来世は必ず人間界に生を受けることを告げて、三十六尋(約60メートル)の巨大な身を引いて裏山へ帰っていきました。
そして翌日のこと、山中に安心して解脱した大蛇の姿が発見されました。絶海上人は供養して遺体を山にうずめ、女人処世の戒めとして大蛇の頭を寺宝として当山にとどめました。またこの大蛇の頭を厨子から出すと大雨が降るといわれ、干天続きには、雨乞いにこれを出すと奇瑞があると言い伝えられています。
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